能登への玄関口であり、古くは宿場町としても栄えた旧志雄町は、麻糸の集散地でもあった。その麻糸を束ねて縛った形をおだまきと称し、この形を真似たまんじゅうがいつ頃からか正確な発祥は不明だが、旧志雄町の郷土菓子として親しまれていた。
昭和39年、旧志雄町内で菓子店を創業した先代がおだまきづくりに取り組み、現在は能登名物の一つとして谷口製菓の看板商品に育っている。郷土の歴史に根ざした菓子づくりに専念する谷口義則社長に思い入れを伺った。
●郷土菓子「おだまき」の由来
おだまきそもそも宿場町として栄えた旧志雄町は、麻糸の産地として栄え、麻糸は束ねて縛った形で市場に出荷されていた。その縛った三角の形を小田巻(おだまき)の束と称し、その形にちなんで作られた菓子がこのおだまきである。かつては町内にあった数軒の菓子店で作られていたが、今は当店が唯一おだまきを製造販売している。
このあたりでは、昔から餡を入れて食べる餅や団子のことをその形にかかわらず、総称して「おだまき」と言っており、地元の人たちにとっては馴染み深い菓子なのだ。
●菓子づくりへのこだわり
おだまきの餡を巻いている、一見、餅のように見える生地は、地元石川産コシヒカリの米粉100%で、もち粉は一切使っていない。中の餡は北海道産の小豆を炊いたつぶ餡という、菓子としてはいたってシンプルな構成である。
「原料の善し悪しがもろに味に出てしまうため、原料には最大限の注意を払っていいものを厳選して用いています。そうしないと、商品の味が落ちてしまうことから、原料にはこだわらざるをえないのです。」と真摯な姿勢を覗かせる。
古くから近隣の所司原(しょしはら)地区で生産されている地元産の小豆を北海道産の小豆にブレンドして使うなど、地産地消にも20年あまり前から取り組んできている。
●宝達志水町誕生に合わせた記念菓子づくりが転機
バリエーションが豊富なおだまきそもそもおだまきは、白生地で餡を巻いた一種類のみだった。2005年3月、押水町と志雄町が合併し宝達志水町になることが決まった際に、新聞記者が来店し、合併記念の菓子を作ることを依頼された。
ところが、谷口氏自身は2町合併に反対する旗頭的存在だったこともあって、「記念の菓子なんてとんでもない」と追い返していた。「何度断ってもしつこく来られ、あまりしつこいので、となりの押水町はイチジクが特産だから、イチジクを餡にしたおだまきでも作ればいいんか」となげやりなことを言ったところ、「それいいですね、明日写真撮りに来ていいですか」と記者に言われ、「ちょっと待ってくれ、今のは冗談で言っただけだ」といったやりとりの後、「商品化するかどうかは別として、記念の菓子を構想したというだけでもいい記事になるので是非作って欲しい」と懇願されたという。
しぶしぶイチジクのジャムを取り寄せ、餡に混ぜるとともに、生地も白のままでは中身が分からないことからピンクに色づけして仕上げると、新聞に紹介された。
商品 それが、新聞・テレビ・ラジオで大きく取り上げられ、やがて百貨店からも声がかかった。「田舎で商売をしてきて、百貨店から声がかかるなんて思ってもいない夢のような話だった。
白とピンクで紅白になったことで、内祝などの需要が急増し、例年の5倍近い売れ行きとなり、全て手作りの商品のため寝る間も惜しんで作りました。」と述懐する。それに続いて、よもぎ入り、そば粉入り、黒米粉にくるみ味噌餡入りと、あっと言う間にバリエーションが5種類に増えた。「金沢の五色生菓子にあやかり、五色揃えば縁起もいいのでは・・」と顔を綻ばす。
●地域とのかかわりを大切に
谷口義則社長地元に古くから伝わる菓子だけに、おだまきの白い生地に何かを混ぜて色を付けるなどと言うことはもっての外と肝に銘じていた谷口氏だったが、その禁を破ったことで、結果として新しい道が拓けた。
この時の経験を登校拒否児童の通う施設で話したところ、先生から『子供たちも1年後にはどう変わるか分からない、頑張っていればいつか新しい活路が見い出せるんだと、すごく元気づけられました』と感謝され、自分自身にとっての激動の節目をその都度噛みしめている。子供たちに自らの経験を話し、一緒におだまき作りを体験する交流は十数年あまり続いているとのこと。
白のおだまきはいつ誰が作り始めた物なのか、歴史的な資料がないため不明だが、それ以外の4種類は谷口氏のオリジナルおだまきであり、自信をもってアピールできる自前の商品である。
●心をこめた菓子づくりがモットー
心をこめた菓子作りおだまきのバリエーションが5色になったことで売上が伸び、生産個数も急増している。「忙しくなっても手抜きや偽装は絶対許されないことで、原料にこだわり、一つずつ真心込めて手で作り、お客様においしいと言っていただける菓子づくりに邁進することを自らに言い聞かせて日々頑張っています。」と胸を張る。
おだまきには、創業者である父におだまき作りを薦めたお客さんの思いと、それに応えられる商品に作り上げた先代の努力、そしてその思いを大切に受け継ぎ、次代につなぐ商品展開を果たした谷口社長の親子二代の情熱が秘められている。
● 商いの現状維持か拡大か、ジレンマの日々
電話やFAXでの注文に応じクール便での宅配は行っているが、ホームページを開設してのネット通販は今のところ検討課題のようだ。商品が全て手作業だけに、ネット販売で大量の注文が入った場合に対応できるか、商品の質を維持できるか、まだ不安材料がある。と同時に、「現在スーパーや百貨店に商品を置いてもらっていますが、商圏を拡大する道を選ぶのか、遠くからでもここにしかない菓子としてわざわざ店まで買いに来てもらえる商いの道を選ぶか、私自身決めかねているのが正直なところなのです。」と揺れる胸の内を披瀝する。「相次ぐ食品偽装のニュースを見るたびに、口に入る食品を作ることの責任の重大さを痛感しています。」と改めて気を引き締める。
● 親の背中を見て子は育つ
高校3年の長男を筆頭に3人の子息全員が後継宣言しているそうだ。「みんながやると言われても困るが・・」と苦笑するも、「仕事が忙しくてほとんど子供たちを構ってやれなかったが、それでも我々の働く姿を見て育った子供たちがそう言ってくれるのだから、一生懸命やってきて良かったと思うし、後継者がいない同業者が多い中で本当に有り難いこと。」としみじみと語る。
手作りと品質管理の両立。自社商品の販売戦略。ネットの活用。この3点を熟考しながら、子供たちと肩を並べて菓子づくりをする、そう遠くない日を思い描く谷口氏である。
インタビューを終えて・・・ 能登名物として歴史的な意義のある看板商品を持つ店の強みを痛感させられた。頑なに白に拘っていたおだまきが、合併を機にカラフルな5色にバリエーション展開したことで、新たな需要が喚起され、商売も大きく飛躍し、後継者難が多い業界にあって子息が後を継ぎたいと思う魅力ある店へと昇華している。既存の商品に付加価値をつけるヒントとして大いに参考になるモデルではないだろうか。
谷口製菓 外観 商 号 (有)谷口製菓
住 所 羽咋郡宝達志水町萩市へ9番地1
電話番号 (0767)29-2112
創 業 昭和39年
営業時間 7時~19時
定休日 第2・第4水曜日