AKINDO44 県外繁盛店:村上重本店(京都府)

千枚漬け、ここに極まる

霜月から 如月まで。
底冷えに背を丸める頃が、
千枚漬けの季節である。
四斗樽の中で、吟味され尽くした
聖護院かぶらと北海道利尻の昆布と塩が
ふくよかに、純朴に、冬を謳う。
職人は、その声に耳を傾け、
伝統の技継ぐ手をさしのべて、見守る。
漬け物は生き物・・・と緊張しながら。 「村上重本店」の漬物(あきんど表紙)
凛然として<京都>を商う。
四条通から小路をのぞくと、突き当たりに千本格子の表構えが見えた。枯茶色の暖簾に染め抜いた「丸に十」の家紋。あたりに凛とした空気を放っている。「千枚漬ならここ」と評判高い村上重本店である。百七十年にならんとする歴史を刻む老舗だ。近づくにつれ、往来激しい背後の喧噪が薄れていく。がらがらっと戸を開けた。「いらっしゃいませ~」、若い売り子の声が石畳の店内に響き渡る。

すぐき、しば漬、こぶ大根、京壬生菜・・・種種の漬け物が並んでいた。平籠を片手に物色する客の数は、平日の午前中でも多い。その客たちに、閑雅な京風の飾り付けや畳仕立ての長椅子が、「ま、ゆっくりしておくれやす」と呼びかけているかのよう。飾り付けは毎週のようにどこかこしら変えていると、営業部長の福岡雅行さんが話す。長椅子に腰を下ろすと、やおら昆布茶が供された。

「商品と同じく店造りも、季節感を大事にしております。お客様にはおいしい漬け物とともに<満足>も売っているんです。さらには<京都>も売っている。いや、それぐらいの心構えでなきゃ、商売も長続きしません」
京漬け物、ひいては京都の<顔>でもある、重い暖簾だ。生半可な姿勢で居たら守って等いけまい。

毎年十一月の季節到来を、食通たちにそわそわと待たせる千枚漬・・・。その素材となる<聖護院かぶら>にしろ、製造部長の岡本好弘さんが一個一個たたき、音を確かめてから選ぶ。底冷えしだす頃にぐんと成長する、きめ細かで身の締まったかぶらしか断じて買わない。セリの前に吟味しておこうと、朝四時には市場に向かう毎日だそうな。
が、心砕いて仕入れたかぶらも、皮は厚めに剥いて、繊維の堅い上下部分は切り落とす。挙句、使えるのは真ん中の所六、七センチほどだけ。それを専用の<鉋>で「つく」、すなわち
スライスする。さっさっと刃をくぐらせていく作業は用意に移って、すこぶる厄介。福岡さんと岡本さんが口を揃えて言う。
「コンマ何ミリか狂ってもダメなんですよ。私どもの千枚漬にならないんです。」
かくも微妙なるもの・・・・。均一の厚さに「漬ける」まで十年はかかるそうだ。  店内の様子。
家伝独自の漬け方で
千枚漬けを商う店は何軒もある。その中で「ここ」と評されるのはなぜか—。訪ねるや、「まったく製法が違う」と岡本さん。あまりにも基本的な理由に、少々困惑してしまった。福岡さんがたたみかけるように説明する。
「もし、千枚漬を白くて甘酸っぱいものと思っていらしたら、私どもの商品とはギャップがあるかもしれませんね。色にしても、昆布からにじみ出る成分でベージュに近い」
聖護院かぶらを北海道利尻の昆布と根昆布、塩だけで漬け込むという。四斗樽の中でじわじわひとつに熟成されていく、かぶらの甘みと昆布の旨味と発行による酸味と。何持足さない。だから、ごまかしも利かない。ひと樽ひと樽、真剣勝負だ。砂糖や酢や調味料を混ぜれば簡単に味は安定するのだろうけれど、生一本に<昔ながら>を継いでいく。それが「村上重」流の製法なのである。
「よそはよそ、うちはうちの漬け方があります。気に入る気に入らないは、お客様が判断されればよいことだと思います」
福岡さんがきっぱり言い切る。横で頷く岡本さん、「毎日が緊張の連続ですが」とほほえんだ。というのも、千枚漬けの味は、塩漬けの段階で九割がた決まってしまうという。その日の温度や湿度によって、塩も重石も加減しなければならない。まさに生き物だから、「三十数年漬けていても、本当にむずかしい。だからおもしろいんですけどね」
勘と手技の世界とあらば、後継者たちも、パーセントだのペーハーだのの数字はさておき、体で覚えていくしかなかろう。
「いや、私もまた、九十歳、百歳になるまで学びつつ、漬けていたい。仕事は、私の生き甲斐なんです。最高ですよ」
あっぱれな惚れ込みよう。
この職人魂がある限り暖簾は・・・と二千年代の老舗を想った。

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