<商い益々繁盛店>(株)しら井 負けない商い、本物の指向で独自の顧客を開拓

北海道から日本各地に昆布・鰊(にしん)などの海産物を運んだ北前船交易における寄港地でもあった七尾港。その七尾・一本杉に、北海道産の天然昆布のみを商い、本物が分かる、本物志向の固定客の心をしっかりと掴み、負けない商いに徹する昆布海産物處「しら井」がある。食の安全・安心が叫ばれる今、その本物の商いが脚光を浴びている。
昨年10月、満を持して金沢市東山に金沢店を出店した想いを白井修社長に伺った。

●能登には能登の、金沢には金沢の・・

白井社長が先代と共に仕事をするようになって間もなく、七尾一本杉通りにある本店を鉄筋のビルにし、七尾で恐らく最初の自動ドアまで完備した店を新築オープンさせた。
「当時、私どもが師と仰いでいた東京のスーパー紀ノ国屋の増井会長(故人)さんが、能登旅行の折りに、新しくなった店に来て下さったのですが、外から建物だけ見て店内には一歩も入らずに『立派なビルですね』の一言だけで帰られてしまった。
その姿を目の当たりにし、『いったい何がどうしたというのだろうか、商品も見ないで帰られてしまった』と自問自答する日々が続きました」と述懐する。その何故を解明すべく、夫人を伴って各地の知る人ぞ知る店を訪ね歩いて勉強を重ねた結果、能登には能登らしい建物の店が相応しいし、金沢には金沢らしい建物の店を造らないといけないという商いの原点に気付かされ、あの時増井会長が店に入らずに帰った理由を思い知ることとなる。そのことが商いに対する白井社長の考え方を一変させた。
売れるモノを売るのではなく、自分たちが売りたいモノを売る商いが始まったのだ。

●まずは七尾らしい店づくりから

能登は能登らしい地元の材料を使って、地元の大工が建てた建物にしようと決意。
まず設計士を探すことから始めた。地元で名の通った何人かの設計士に相談するも、白井社長の心を理解してくれる人となかなか出会えず、半ば諦めかけていた。「それならせめて内装だけでも自分の思いを理解してくれる職人さんに頼みたいと探し回り、ようやく私の心を分かってくれる職人さんと出会うことができたのです。その人に設計士が見つからないことを話したところ、『すごい面白い男がいるから』と紹介されたのが、本店と金沢店を設計した高木さんだった」。
まさに運命的な出会いである。それまでも一本杉通り商店街の仲間たちに、古い物の良さや魅力を機会あるごとに訴えていたが、なかなか賛同を得られないでいただけに、モデル店舗を自ら造って範を示したいとの熱い想いを高木氏に語り、その白井社長の想いが形になったのが七尾の店であり、しら井にとって文字通りの本(物の)店が完成した。

●金沢に昆布文化を広めたい・・

七尾では先代のおかげで、しら井の商品が真面目な商品であることを誰もが分かっているから何も宣伝しなくていい。
「金沢の場合は、しら井が何を売っている店なのかもご存知でない人が大部分なだけに、一つ一つ説明することから始めなければなりません。それないっそのことうちの昆布を使った食事を召し上がっていただいた方が手っ取り早いと考え、二階に食事ができるスペースを設けたんですよ・・・」。金沢に店を構えるにあたり、商売もさることながら、金沢に昆布文化を広めたい、しら井のファンを増やしたいとの白井社長の熱い想いがひしひしと伝わってくる。
金沢に七尾から出てきていきなり商売になるとは元より考えていない。観光バスの駐車場が隣りにできたため、土産物屋と勘違いされかねない立地になったことは誤算となった。しかし、本物の昆布を扱う店として知る人ぞ知る店だけに、時間はかかるかもしれないが、本物の良さは口コミで着実に広まっていくことは想像に難くない。

●海藻おしばギャラリーが店に潤いをプラス

遡ること3年前、しら井の七尾本店が紹介されていた雑誌に、たまたま海藻おしばアートの作家として知られる静岡県伊豆市在住の野田三千代さんのことが紹介されていた。そこに載っていた海藻おしばの作品の写真を見た瞬間、白井社長は『これだっ!』と一目惚れしたという。
海産物を扱う店として何かコラボレーションできないものかと手紙を出したことが縁で、小さなスペースではあるが、野田さんの作品を常時展示即売するギャラリー「海の森」が金沢店の2階に誕生した。
海藻をおしばにするとこんなにも美しいアートになるのかと感動すること請け合いの素晴らしい作品の数々が目を引く。能登の海で実際に採取したスギモク、アミクサ、フダラクなど額装された作品やアクリル樹脂で封入したサンゴ藻など50点を越える作品が展示されている。
将来的には、野田さんを講師に招いての海藻おしば教室を開く構想も温めている。

●近所に愛されることが商いの秘訣

「金沢の店は、金沢のお客さんの考え方をまず知らないといけない。と同時にしら井はこんな商品を扱うこんな店なんだということを金沢の人たちに知っていただく努力をしていかなければなりません。
とにかく口コミに勝る宣伝はないと思っています。七尾本店は親子三代あるいは二代にわたってのお得意さんが6割を占めているとはいえ、金沢の店がそうなるにはまだまだ永い年月がかかります」と長い目で捉えている。そのためにまず白井社長が心掛けているのは、近所づきあいによるコミュニケーションでの交流だ。とりわけ、隣りには東山を代表する老舗の米沢茶店がある。「米沢社長さんが自分の店に来たお客さんたちに『隣りに昆布屋さんができたから行ってあげて』と紹介して下さり、それでうちへ来ていただくお客さんも多く、ありがたいことだと感謝しています。逆に言うと老舗の米沢さんに紹介していただいてご迷惑がかからないような商いをしていかないといけない」と背筋を伸ばす。

●負けない商いで地道に歩む

「親父が古くさい商売を遺してくれたおかげで、こんな商いのやり方が通用するのであって、普通の商売をうちのスピードでやっていたら潰れるでしょう。この商品のおかげで自分のスピードで商売できることに家内共々感謝しています。
私が目標とするのは東山に米沢茶店ありと言われるように、その地域の重石になるような店に育てていくことです。子供の代への種蒔きみたいな想いも強く、この店が東山の地域に真に溶け込むのは私の代ではなく、子供たちの代だろうと思います。
そんなサイクルで物事を考えていきたい」とゆったりと語る白井社長の想いを伺っていると、ここだけは静かにゆっくりと時が流れ、まるで海中散歩をしているかのような錯覚さえ覚えた。

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