★<週刊ウンチク>バックナンバー★ | ||||
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■出逢いの一句 魚市を通り抜けたる暑さかな 碓井梅嶺 今年のNHK大河ドラマ「利家とまつ」は、いま一寸したブームである。さて、ドラマは更に江戸後期へと続く。 しばらくは「鶴来町史」と「米屋四百年」から引用して、お目を汚す無礼お許し願いたい。 さて、代々の加賀藩主は、行歩と言って鶴来方面へ数え切れないほど足を運んでいる。碓井家は江戸初期から、大きな酒造業を営んでおり、藩主を始めその奥方、お子さんなども、白山宮や金剱宮へ参詣し、醸造蔵、水車を見学し、丁度恰好の「お休み処」として、接待を命じられている。 屋号米屋の碓井次郎左衛門(梅嶺)はその八代目を継いでいる。 また彼の代の文政8年2月(1825)には、郡奉公所へ薬種商開業願を申請して許可されている。 つまり梅嶺のときに、今のコメヤ薬局が誕生していると云っても過言ではない。上掲の句はその梅嶺の句である。 彼は「鶴来駅(宿場)算用聞役」としての傍ら、加賀蕉風を学び、俳論「聴句要訣(乾)」「作句要法(坤)」を著している。 また梅嶺41才の天保11年(1480)の仲春には、俳人二十数人と、たった一日で千句を詠んでいる。 昭和58年にこの稿本が発見されて、鶴来町教育委員会が「鶴来俳諧千韻」として出版する際、序文で塩田紅果が、普通3日もかかる千句韻を、良くもまあ一昼夜で全巻をまきあげたものだと感嘆している。 春立つや浪あらたなる海の色 (梅嶺) 澄めばすむ人の心や今朝の春 (梅嶺) 春雨や滴も落ちぬ萓庇 (梅嶺) [◆解説は下記] 訪う人にあはて戻りししぐれ二度 (梅嶺) さて、フィナーレを書かねばなるまい。「魚市を・・・」の句は、察するに、梅嶺が所用で俳句仲間と一緒に、鶴来街道を小柳、四十万、地黄煎町、六斗広見、蛤坂と歩いて近江町に着き、奥の方にある魚市場を覗いたときの句であろう。 川上の芝居役者を挨拶に来させたほど、侠気のある市場だから、歯切れのよい啖呵も聞かれたかも知れない。 恐らくは雨が降っても営業できるように、上屋が立てられていたか、あるいは建家の長い庇の下で商いをしていたに違いない。句には嗅覚をうたってないが、昨今のように水道のホースから存分に水を使うこともなかろうから、魚市を抜けて、梅嶺もほっとして、、大きく息を吸ったことだろう。 (三納鶴仙) |
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■鶴仙宗匠よりもう一言・・・
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