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週刊ウンチク おはなしばたけ 第67回(2002.6.6)
「出会いの一句」
提供:明光自動車サービス
三納嘉一(鶴仙)宗匠
明光自動車サービス三納嘉一社長。 明光自動車サービス三納嘉一社長は、俳壇「高根社」にて、
月江庵12世 三納鶴仙(かくせん)の雅号で活動していらっしやいます。
今週は同人誌「雪垣」より、三納社長の詩人の一面をご覧ください。

■出逢いの一句

魚市を通り抜けたる暑さかな  碓井梅嶺

 今年のNHK大河ドラマ「利家とまつ」は、いま一寸したブームである。さて、ドラマは更に江戸後期へと続く。
 しばらくは「鶴来町史」と「米屋四百年」から引用して、お目を汚す無礼お許し願いたい。

 さて、代々の加賀藩主は、行歩と言って鶴来方面へ数え切れないほど足を運んでいる。碓井家は江戸初期から、大きな酒造業を営んでおり、藩主を始めその奥方、お子さんなども、白山宮や金剱宮へ参詣し、醸造蔵、水車を見学し、丁度恰好の「お休み処」として、接待を命じられている。

 屋号米屋の碓井次郎左衛門(梅嶺)はその八代目を継いでいる。
 また彼の代の文政8年2月(1825)には、郡奉公所へ薬種商開業願を申請して許可されている。
 つまり梅嶺のときに、今のコメヤ薬局が誕生していると云っても過言ではない。上掲の句はその梅嶺の句である。

 彼は「鶴来駅(宿場)算用聞役」としての傍ら、加賀蕉風を学び、俳論「聴句要訣(乾)」「作句要法(坤)」を著している。
 また梅嶺41才の天保11年(1480)の仲春には、俳人二十数人と、たった一日で千句を詠んでいる。
 昭和58年にこの稿本が発見されて、鶴来町教育委員会が「鶴来俳諧千韻」として出版する際、序文で塩田紅果が、普通3日もかかる千句韻を、良くもまあ一昼夜で全巻をまきあげたものだと感嘆している。

 春立つや浪あらたなる海の色  (梅嶺)

 澄めばすむ人の心や今朝の春   (梅嶺)

 春雨や滴も落ちぬ萓庇         (梅嶺) [◆解説は下記]

 訪う人にあはて戻りししぐれ二度   (梅嶺)

 さて、フィナーレを書かねばなるまい。「魚市を・・・」の句は、察するに、梅嶺が所用で俳句仲間と一緒に、鶴来街道を小柳、四十万、地黄煎町、六斗広見、蛤坂と歩いて近江町に着き、奥の方にある魚市場を覗いたときの句であろう。

 川上の芝居役者を挨拶に来させたほど、侠気のある市場だから、歯切れのよい啖呵も聞かれたかも知れない。
 恐らくは雨が降っても営業できるように、上屋が立てられていたか、あるいは建家の長い庇の下で商いをしていたに違いない。句には嗅覚をうたってないが、昨今のように水道のホースから存分に水を使うこともなかろうから、魚市を抜けて、梅嶺もほっとして、、大きく息を吸ったことだろう。

(三納鶴仙)
 
■鶴仙宗匠よりもう一言・・・
三納鶴仙宗匠。 ハイ。碓井梅嶺 のことネ。寛政12年(1800)生まれ。
明治元年12月15日(1868)没。 俳壇 高根社の創始者です。
昔は鶴来の文化レベルは高かったのですネ。
いま連綿?として、ボクで12世。アハハハ。

彼はコメヤ薬局の先祖なんです。芭蕉系(蕉風)の俳論も書いています。
エライでしょう。 ボクは彼の「俳論」を暇をみて口語文に直しているが、なかなか、骨が折れます。


◆春雨や滴も落ちぬ萱庇              梅嶺

家の中にいては気付かなかったが、玄関の戸を開けると外は雨。
季節のなかでも、春雨はやさしい。

しばらく前まで、金沢でも、木羽(こば)葺きに石をのせた家があったでしょう。
それ以前は、萱葺き(かやぶき)だった。
「かや」は「茅」に同じ。「すすき」「ちがや」「あし」などの草で屋根を葺いた。

あの世界遺産の白川郷の屋根を思ってください。
季節は春。雨がやさしく萱を濡らしてゆくが、大雨でないから、庇から雨の滴は落ち
ない。それを見ながら、梅嶺は自分の心までやさしくなってゆくのを感じた。

まア。そんなところでしょう。          (鶴仙の国語の時間でした。)

 
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